2013年6月10日月曜日
無心
我々は生きていくうえで考えなければならないことが多すぎる。
そんなとき、仕事や趣味に忙殺されることが一種の快感になることがある。
そうした無心の時間をもつことで、自らを思考から解放してやっていると考えれば素晴らしい。
皆さん趣味はお持ちだろうか。
私は基本的に考えることの少ない人間だが、ぼーっとするのが好きだ。
それこそ日がな一日ぼんやりと過ごすときの幸せったらない。
特に好きなのは、寝る直前のまどろみに身を任せる瞬間である。
疲れて帰ったときの布団の気持ちよさを思い出せば容易に想像できるだろう。
また、考え事をしながら段々とそれを放棄していくのもいい。
何か到底解決できそうにないこと、リーマン予想なんかを自分なりに考えながら、いつの間にか眠りについていたときの心地よさったらない。
そうした時間の何がいいかと言えば、時間の流れが遅いことだ。
例えば夜眠ると途端に朝がきたような感覚に襲われるが、朝の二度寝は十分間でも異様に長く感じられる、そんな経験はないだろうか。
時間を有効に使ってるんだか無駄にしているんだかわからない感じがなんとも言えずよい。
心が休まる。
恐らく宗教的に行われる座禅なんかも似たようなものだろう。
何も考えないことを意識的に行う。
その心地よさを覚える。
たしかにその心地よさは人を救う材料になるが、一歩間違えると洗脳されるとっかかりになりかねない。
たまに新興宗教に学歴のやたら良い人が混ざっていたりするけれど、まさにあれは、『考え過ぎから解放される快感』に染まってしまった人の末路と言えるだろう。
彼らはロジックにしか納得しないので、一度理由をつけて信じ込ませてあげると考えない快感にのめりこんでしまうのだろう。
麻薬や酒に浸る人達も、手段は違えど目的は似たようなものだ。
何かにずぶずぶに嵌るというのは、そういうことだ。
人には考えない時間が必要だ。
すべてを忘れる時間が。
そしてその手段は、自分だけのためのものでなくてはならない。
どんなくだらない手段でもいい、自分を休める手段を獲得するのは、寿命を伸ばすための知恵だと言えるだろう。
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