2013年4月9日火曜日

高度・表現・文脈


小説の好みについて思うことがある。

例えば、ある人物が心情を示しかたとして、「好き」と囁く、あるいは口付けするだとか様々だと思う。
これは明らかな愛情表現である。

しかし、食事を用意しておくとか、病気のときに世話を焼くというのは、また違った愛情の示し方だと思う。
どちらかといえば、こちらのほうが直情的でないというか、所帯じみている。
また、状況を介して示される分、多少間接的な愛情だ。

さらには、注意をする、指摘をする、というのも愛情である。
その人の将来を思って、辛いのを承知で現実を知らしめるのは、高度な愛情表現である。(パターナリズムというらしい)

こうした愛情一つをとっても、表現の直接的レベルの違いがある。
高度な愛情が目立つことはなく、愚かな人間はそれに気付かない。

抽象化、という点では、高度な文脈のほうがより具体性をもっているように感じる。
何かを抽象化して語ることは、いろんな状況を包含しているため、一見高度に思える。

しかしそれは、ある意味で情報を単純化しているのであり、それを果たしてレベルの高いものとして位置づけしていいものかと思う。

抽象化することは、多くの問題に対する解決を与えるけれど、そのスマートさは具体性をとっぱらったうえで成立していることは意識されるべきかもしれない。

物書きは、如何に文章を膨らませるかが勝負だから、抽象的なテーマ性を具体的に表現していく技能が露骨に要求される。

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