2013年7月11日木曜日
諦めるのは悪いこと?
私は以前、演劇部に所属していたのですが、そのときの先輩が口にしていた言葉で嫌いだったものがあります。
それは「逃げ」という言葉です。
当時その先輩にとってはホットなワードだったらしく、盛んに「それは逃げだからしたくない」というように口走っていました。
「物事に立ち向かっていく」ということを絶対的なポジティブと見なし、それに反する行為を「逃げ」と称して嫌っていたわけです。
しかし私はこの考え方が好きではありませんでした。
たしかに、物事に向き合わずに「逃げ」の一手を打ってしまうことは安易だし、楽なほうに流されているという意見はわかります。
ですが、物事に向き合った上で「逃げる」あるいは「諦める」という選択をおこなうことは立派な判断だし、問題に対する対処だと思うのです。
例えば本を半分くらいまで読み進めたうえであまり面白くなかったとき、最後まで読み進めるか、途中で諦めるかという二択に迫られると思います。
そのとき、あなたはどんな判断をしますか?
判断をしたとして、どうしてその選択をしたのでしょう?
きっと私の昔の先輩からすると、読み進めることをチャレンジすることと捉え、諦めることはネガティブな選択ということになるでしょう。
この選択は、言い換えれば、経験的にこの本は面白くなかったからこれからも面白くないだろう、あるいは、これからはどうなるかわからないという判断であり、科学的と非科学的がせめぎあっているような状態です。
私はどちらがいいと言う風には考えておらず、そのときどきによって判断を下せばいいと考えています。
たしかに、「逃げ」ないという明確なポリシーを打ち立てることは、判断を楽にしてくれますが、それは逆に言えば、個々の問題に立ち向かわないということでもあります。
つまり、「逃げ」という言葉を安易に濫用することで、逆に「問題に真摯に向き合うことを諦める」という選択になりうるわけです。
私が「逃げ」という言葉を嫌ったのは、その言葉の安直さというよりもむしろ、ポリシーを決めることによる問題の過剰な単純化がおこなわれてしまう可能性を危惧してのことだったのではないか、と今では思っています。
要は「逃げるが勝ち」も戦略のひとつだ、というそれだけの話です。
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