2013年7月24日水曜日
やってみなけりゃわからない
最近、心理学の植木先生の『シロクマのことだけは考えるな』を読んだのだが、その中に興味深いことが書いてあった。
売上に貢献するためにもかいつまんでしか話さないが、どうやら鬱の患者というのは、統計的判断を一般人よりも正しく行えるというのだ。
例えば宝くじを買う時、一般人は自分の手で買った方が当たりそうな気がすると答える人が多いのに対して、鬱病の患者はその割合が低いのだそうだ。
つまり、宝くじを誰が買っても確率的には同じだという事実をシビアに受け止めているのだそうだ。
私はこれを読んで、ははあなるほど、と思った。
何故なら上記の現象は、鬱気質の本質を突いているような気がしたからである。
大雑把に言えば、統計的判断とは、昨日も今日も太陽は昇った、だから明日も昇る確率が高い、そんなものである。
でもこれは妙な話で、別に明日太陽が昇らなくてもなんの不思議もない。
しかし、鬱病患者は考える。
今まで人生悪いこと続きだったから、これからも悪いことが起こるに違いない。
こうして未来への希望を見失い、活力を奪われるのである。
別に今日が悪くたって、明日があるさ、と思えるならば、それは鬱とは程遠い。
鬱病に陥る思考形態とは、すなわち科学的判断が原因なのだ。
しかしながら、知っておいた方がよい。
科学的なものというのは危うい基盤の下に成り立っているということを。
たとえ物理法則を実験によって裏付けて解き明かしたとしても、その時その場で解き明かしたものは、その時だけの答えなのである。
時々刻々と状況が変化する中で、たまたま長いこと変化が起きてないだけなのだ。
だから不幸が続いても、明日はいいことがあることもあり得る。
明日になれば、重力は軽く、身体も軽くなるかもしれない。
やってみなけりゃわからない、ということだ。
もちろん、事前にイメージをしておくことも大切だ。
でも時には、飛び込む勇気を振り絞るといいのかもしれない。
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