2014年6月8日日曜日

集中力


欲しい力、スキルは沢山ある。

資格、実務能力、話術など。

だが、それらを身につけるためにはまず、基礎的な能力が不可欠であると思う。

例えば、記憶力は上述の作業に必要な知識を頭に入れるために必要不可欠である。

また、体力は忍耐強く作業を行うために必要だろう。

それらと並んで挙げられるスキルがある。


それは、『集中力』である。


私は、集中力とは何かと問われても、あまりピンとこなかった。

それは私自身が、集中力のない人間だったからであって、そもそも集中という概念自体がよくわかっていなかったのだ、と最近になって気づいた。

集中力の例としては、外界とシャットアウトされることが挙げられる。

例えば、声を掛けられても気づかない、とか。

しかしそれは違うような気がする。

なぜなら、外の世界を見つめなければ、作業を行うことはできない。


だが、やはりそれは正しいのだった。


フラッシュ暗算を解くようになって、私が集中力の存在を認識しはじめた。

その感じ方から言えば、集中力とは想像力とおよそ変わらない能力である気がする。

世に言う想像力とは、未来を予測してみるとか、現実にないものを想像してみる能力を指す。

だが、私は、作業全般において、想像力は働いていると考えている。

なぜなら、人間は外界を認識してから行動するが、その認識を保って作業をおこなわなければならない。

例えば、目をつぶっても、さっきまで目の前に何があったかは覚えているし、きっと障害物があれば避けて歩くことも出来るだろう。

それは、現実とは違った、記憶の世界を歩いていることになる。

普段、目を開けながらの作業もこれとまったく同じである。

なぜなら、目を開けていても、視覚情報が脳に入ってくるまでには差がある。

つまり、目をつぶった状態が五秒前の現実を認識しているとすれば、目を開けている状態では5ミリ秒前の現実を認識していることになる。

恐らく、目から見た情報を、一時的に記憶に溜め込む点では双方ともに変わらない。

ただその情報を保持する時間が違ってくる。

だから、目をつぶっての作業と、つぶらない作業は、現実世界が動かないという前提に基づけば、本質的にはなんら変わりはない。


つまり、我々が生きているのは、元々現実でもない。
数秒遅れの現実を生きている。


ということは、我々の記憶の中に、現実はあるのだ。

だとすれば、何か作業をするときは、我々は外界など見てはいない。

集中力とはつまり、この一時記憶をどれだけ長く・鮮明に保持していられるかの問題である。


ただ、人間は同じ能力を使うことに関しては、複数作業を同時に進めることはできない。

だから、五秒前の世界から何かを考えるときは、今の世界はほぼ頭に入っていない。

これが、集中力の正体であると思う。


だから、集中力をつけようと思って、必死に目の前の問題を眺める行為は無意味である。

むしろ、問題はさっと読んで、伏せてしまう。

そして、頭だけで考える。

そうすると、自然と集中力はつくと思う。


私がフラッシュ暗算を練習しているのは、フラッシュ暗算そのものが、頭の中に足した数字を保持することを強いられる作業だからである。

それはつまり、集中力を養うのに最適な訓練だと言えると思うのだ。

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