2013年2月13日水曜日
馬鹿にされても
生きていると、隣の人がどうしても気になる、ということはあります。
世の中を見回すと、幸せそうな人は沢山います。
優秀な人も、美しい人も山ほど。
そんな人たちに羨望を感じることがあるかもしれません。
それは仕方のないことです。
でも、もし馬鹿にされたとしたら、気にすることはないのかなと思います。
自分の中で何かが疼いたりするとしたら、それは図星だからか、現実を受け入れきれてないからだと思います。
たとえば、「お前って馬鹿だよね」とストレートに言われたとしても、「そうだよね、ハハハ」と屈託無く笑っていればいいとおもいます。
だって、彼らはそうやってあなたを馬鹿にする人は、自分が自分だけの力で賢いのだと思っている。
それは大きな間違いです。
彼らはそういう星の下に生まれてラッキーだったのです。
言い方を変えれば、スタート地点が違ったということです。
そんなこと言い出したら全部運じゃないか、貴様は運命論者かって話になりますが、別に努力が無駄とか言ってるわけじゃありません。
未来のことを知り得ない私たちは、そのときそのときでベストを尽くすしかないのは事実です。
ただその結果を見て、次に活かすための反省はするとしても、人様に馬鹿にされるいわれは無いということです。
たとえこの意見に同調してくれる人がいたとしても、これは口に出して大声で言ってはいけません。
何故なら周りの人間の中には、努力が結果に直結すると思っている人も少なくはないからです。
そんな人たちの前でこんな話をすれば、「それは言い訳だ」とか、恰好の餌食されるに違いありません。
恵まれた人たちにとっては、言い訳にしか聞こえないのです。
彼らは生まれつきラッキーな人間なので、アンラッキーな人間のことなどわかりようがないのです。
ただ、こういった考えをもっていると、人様に馬鹿にされてもムキにならずに済むので諍いが減ります。
ついでに、人様にも優しくできますね。
あくまで自分のための免罪符ですから、手抜きのために使ったり、言い訳のために使ったりしてはいけません。
私たちが何を言っても、馬鹿にされるような存在だということには変わりないのですから。
矮小な自分を受け入れたうえで、こっそりお守りとしてもっておく考え方なのです。
それに「出る杭は打たれる」という言葉があるように、馬鹿にされるくらい目立つ、個性があるってこともあります。
「天才と馬鹿は紙一重」とも言いますし、もしかしたら、それだけの秘めた力があるのかもしれませんよ。
さらには、身のない内容で人を馬鹿にする人は「自分に自信がないだけ」なので、気にすることはないと思いますよ。
「余裕がないなあ、この人…」って軽く流しておきましょう。
ただ、中身のある批判については、一度聞いて考える必要はあるかもしれませんね。
批判の中身のあるなしは判断が難しいですが、「~したほうがいい」とか「~なところは直したほうがいいかもよ」というように、こちらのことを否定しないで、かつ未来を見据えた前向きな批判だけ信じましょう。
それ以外はとるに足らない戯れ言でしょう、きっとね。
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿