2013年2月3日日曜日
覚悟
20を過ぎたあたりから、自分の不器用さや不出来に嫌気がさしてきた。
頭が良くて身体が弱い、知恵はないが健康、何かひとつでも取り柄があれば、世の中わたっていける勇気も沸くものだが、あいにく私には健康も知恵もありはしなかった。
知恵の不足に関しては不勉強のせいもあったが、勉強に励んだからといって、高校生当時の私が残す成績なんてたかが知れていたことは今考えてみてもよくわかる。
現に大学での勉強の成績はよくないからである。
そうとなれば将来働くなんて選択肢を前向きに検討できるわけもなく、ただ流れに乗って大学院進学を決めたわけであるが、私にとってのそれは単なるモラトリアムの意味合いすらもたない。何故なら、モラトリアムというのは大人になる前の猶予期間のことであって、本来大人になれる力をもつものがあえて大人にならない選択を指すのであり、私の場合は大人になる力すらももたないのだから、これはもはや猶予というよりも、延命措置だと考えたほうがよい。
実際問題、私は自分の死に場所を求めている。
今すぐにでも、車にはねられてしまえば楽になれると思っている。
とはいいつつも、自ら命を絶つほどに思いつめてはいないのだが、将来を考えると、死以外に前向きな選択肢など存在しないような気がしてくる。
昔から「働かざる者食うべからず」というように、働く能力がなければ食えない、食えなければいずれは死ぬわけだから、「働かずんば死を与えよ」と言っても大差ない。
もちろんのこと今から働けないと決めつけていることがすでに問題なのだが、個人的には働いて一所懸命生きていくことが仮に素敵だったとしても、その生き様を人様に評価されるために生きているわけでもないので、泥を舐めるような人生を送るくらいなら、いっそここで楽に死んでしまえればどんなにありがたいかと思っている次第である。
仮に私のようなろくでなしを助けてくれる優しい人がいたとしても、それが親でも兄弟でもなければ、私は卑屈にならずにはいられないだろう。
楽しく生きていかれる自信はない。
とはいえ、何故自ら命を絶つという選択肢を前向きに検討しないかといえば、それは聞こえもしないはずの噂が死後に囁かれることを想起するからだ。そういう意味では、人様の評価を気にしているという矛盾がある。
的確に表現するなら、悪くは言われたくないが、別段褒められたくはない、ということだろうか。
生きるにしろ、死ぬにしろ、中途半端な覚悟であってはいけないと思う。
強いて言えば、生きているうちは後悔を活かせるが、死んだらそれすら出来ないからこそ、そう思う。
来世は信じていないので。
死期などいずれ訪れると、気ままに待ってるのが一番なんだろう。
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