2013年5月19日日曜日

才能


なぜ私ばかりがこんな目に遭っているのかな、ときどきそう思う。

勉強もスポーツもろくにこなせず、狭量で底意地が悪い。
こんな風に生まれついて、将来を見渡しても真っ暗闇にしかみえない。

努力不足だったと言われればそうかもしれない。
たしかに勉強も人よりこなさなかったし、運動だって毛嫌いしていた。
上手くなるはずがない。

でも本当は、上手くできなかったから嫌いになったんだと思う。
この手の話は鶏と卵の話に似ていて、出来ないことはつまらないし、出来ることは楽しい(のだろう)、つまらなければ出来ず、楽しければ出来るようになる。
そういう側面もあるかもしれない。

ならきっと、出来るようになるまで頑張ってみられるかが大事なんだ。

しかしここらへんは悲しい仕組みになっていて、何かを達成したことのある人は自分自身の力を信じて次に進むことが出来るが、達成したことのない人は永遠に諦め癖、つまりは負け犬根性がついてしまうような節がある。

だからこそ、物事は簡単なことから順にこなしていくのが大切なのだろう。

世の中のすべてにおいて、基本は大切にせよと言われるのはきっとそこらへんの理由で、つまりは技術を習得するうえで基礎が大切であるそれ以上に、心がくじけないためにそれは必要なのだ、と思う。

なにもこなせなかった私が言うのは可笑しいが、少なくとも私は基礎を大切にしてこなかった。
出来る人を羨ましがって、見た目の華やかさに惹かれて、基礎をおろそかにして勇み足を踏んだ。
だから失敗してきたんだと思う。

まあ私の場合は、生まれの時点で不利な状況に立たされていたのであまり変わらなかったかもしれない。

そもそも華やかなほうに目がいくのは、それに対する憧れによるところが大きくて、つまり自分にない要素だから欲しい、と言えるような気がする。

簡単なことをこなして、「こんなことは誰でも出来る」と思うことはよくない。
そこに喜びを感じられなければ、いつか心が枯れてしまう。

才能というのは、簡単なことからはじめて、それをひとつひとつ楽しめることなんだろう。
才能のない私が言うのも可笑しいが、そうなんだろう。

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