2013年5月25日土曜日

ほんとうにどうでもいいか


毎日をぼんやりと過ごして、ただつらさを感じる。
今の生活に不満はないし、毎日楽しくないわけでもないが、これから先の事を考えると、不安しか浮かばない。


そんなとき、どうでもいいやという投げやりな感情が芽生えてくる。

もう先のことなんてどうでもいいのだ、私には生きる意味など特に必要ないし、人生とは与えられたものをただこなしていく行為、それだけなのだ。そう思う。

そして、活動らしい活動を捨てて、ただひたすらに空虚な時間を貪る。
ただ寝るとか、なんの未来も保証してくれないゲームに興じるとか。

でも、その気持ちが偽りだったら困るので心に問いかけてみると、やっぱりどうでもよくなんてない、と疼いている。
本当にどうでもいいならなんでも出来るはずなのに、不安や恐れを捨てることが出来ないのは、痛みに打ち克っているのではなく、ただ現実を見ていないだけだ。そんな気がする。

人間死ぬ気になればなんでも出来る、というやつだ。
もちろん空を飛んだりは出来ないが、チャレンジすることはできる。
たとえその結果、死んでしまうとしても、何も困らない。

実際飛行機を作るためにどれだけの人が命を落としたんだか知れない。
彼らは決して、捨て鉢になっていたわけではないだろう。
むしろ微かな成功の可能性を信じて疑わなかっただけだ。

だから捨て鉢になりそうな時は、度胸試しをしてみるべきだ。

私はほんとうにすべてがどうでもいいのか。
試しに何かしてみるべきだ。突拍子もない、とびっきり危ないことを。

そうして恐怖を胸に抱いたとき、自分の本当の心を知るだろう。
やっぱり私は大事だと思うだろう。

もしもそう思えないなら、どうでもいいのだ。
だからなんだっていいし、何も考えなくていい。

大事なのは、自分で自分の本心を隠してしまわないことだ。
結果はどちらに転んだっていい。
自分を騙して生きることほど辛いことはないのだから、そのリスクを避けて、無駄な時間を過ごさないことが大切だ。
無駄というのは、いつも後からついてまわるのだが。

どうでもいい人間にとって、大切だとか、無駄だとか、そんなことはそもそもないはずだ。
もしもそういう言葉が少しでも心に引っかかるのなら、なおさら試してみるべきだ。

もちろんチャレンジは、頭の中でやる。
リハーサルやイメージトレーニングは大切だ。
実際にやってみようとしたら、時間も体力もいるので。
まず頭でやってみるのだ。
それすら出来ないなら、まだ覚悟なんて到底出来ていないのだ。

それ以上のことは言わないでおく。
覚悟が出来ていたとしても、どうするかは自分で決めるべきことだ。

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