2013年8月13日火曜日
難しい言葉を使う奴は嫌な奴か否か
先日、「難解な言葉を使う奴は学歴に自信がないので自分を飾っているんだ」という記事を見た。
僕は自覚して改めた(つもり)だから、この考え自体を真っ向から否定はしない。
だが、反論はある。
たしかに、日常生活での大半の状況はそんなに難解な言葉を使わなくても問題は起きない。
だが、難しい言葉はそれなりの意味を含んでいる場合が多いのも事実だ。
例えば、「事故の原因は○○です。」というような内容を述べるとき、「事故の主因は○○です。」と述べるとちょっとお堅い感じがするかもしれない。
しかし前者の文章では、ただひとつの事故原因を説明しているのに対して、後者では、複数の要因がある中での主な原因を説明している。
つまり、そもそも意味しているものが違う。
コンパクトに伝達するために難しい言葉を使うのは何も不自然じゃない。
「ルサンチマンが~」なんて言い出した日には、ぼこぼこにされかねない気すらするが、話している内容がまともならわからんほうも悪い。
これを真面目に説明していたら、本質的な話がいつまで経っても進められないし、互いに言葉を知っているだけで、意思の疎通が円滑の運ぶのは疑いようのない事実である。
「わかるように言ってくれ」というが、それは話し手が分かってほしいときにだけ言えることで、大抵難しい言葉を使う人間は立場が強い。
そういう人間に対して「わかるように言ってくれないと聞く気がしない」なんて駄々をこねたところで、相手の立場が強い以上は、どうにもならないのである。
全員に通じるような説明が出来ればそれは素晴らしい。
だが、人間には時間という大きな制約がある。
しかも、聞き手と話し手という、複数人の時間だ。
皆が知ってるべき(とされる)共通語を使って話すことが、我々にとって大きな資源の節約になることは言うまでもない。
大事なのは、沢山言葉を知っておくこと、そして相手の言っている内容が有益か無益か判断できるだけの耳を持つことだろう。
ついでに言うなら、ここから話し方のコツが垣間見える。
相手の時間を節約するためにも、話は簡潔であるとよい。
しかも情報が密であるとよい。
かつ、話の初めは興味深い内容か、平易な内容がよい。
でないと、難しい言葉に縋っているような人間しか食いつかない。
難しい言葉にぶち当たって、相手の言いたいことがわからないとき、考えるべきことはたったふたつである。
自分の勉強不足か、相手の不器用か。
相手が難しい言葉を使っているからといって、無駄なことを言っているとは限らない。
もし有益なことを話しているなら、それを逃すのは損だ。
その場合は、訊くことが重要である。
企業面接でもよく言われるように、疑問はありますか?と訊かれたら必ず質問しなければならない。
なぜなら、質問することは対話であり、自分の認識のズレを確認する唯一の手段だからである。
難しい言葉にぶち当たったときは、訊けばいい。
もしそれでも相手が語る内容に価値が無いと判断したなら、耳を傾けなくていい。
最初から簡単な言葉で話してくれたら楽なのに、と思うかもしれないがそれは違う。
難しい言葉を使うことは、時間の節約である。
人間にとって時間は有限であるから、伝達に割く時間は短いほどいいのは自明である。
とすれば、ひとことに沢山の情報量を込められる方が有利なのはおわかりだろう。
もちろん、一見無意味な言葉遊びが有効な場合もあるが、それはそれとして伝達以外の意味があるのでよい。
ただ純粋に内容を伝達することだけを考えるなら、短く多く伝えるのがベスト、ということだ。
となると、難しいことを短時間で処理したいと考えれば、思考結果に当てはめる言葉も難しくなるのは当然だろう。
問題は、受け手がその価値を見抜けるかであり、逆に話し手は受け手に対していかに抵抗を持たせないように伝えるかが大切なのである。
つまり、言葉にもTPO(時と場所を選ぶこと)があるのである。
当たり前のことだが。
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