自己実現とは、自分の理想像に自分を近づけていくこと。
自分の理想と社会の規範にズレが生じると、苦しい思いをしそうです。
そうなると、偽りの仮面(ペルソナと呼びます)を被って社会に適応するか、奔放な自分を解放して世捨て人になるか、苦渋の選択に迫られるわけです。
大雑把に言えば、誰しも自分の存在を受け入れてほしいんですよね。
人類は昔から集団行動が基本ですから、きっと遺伝子に刻み込まれてるのでしょう。
だから、包み込んでくれる愛情には心地良さを感じる。
でももし、自分が自分の理想とかけ離れていたらどうでしょうね。
努力すれば近づけると言ったって、限界はあります。
歌手になりたいとか、スポーツマンになりたいとか、背が高くなりたいとか。
そういった理想像は、生まれたときの形質で決まる部分が大きい。
才能というやつです。憎いですね。
それを手にするのは一握りの運のいい人間で、残り大半の人間はいつか自分の非力さを痛感する日を迎えます。
挫折、というやつですね。
いつか、追い求めていた理想を捨てる瞬間が訪れる。
切ないですね。
そうなってしまったら、自己実現は永遠に達成されないわけです。
じゃあ一生自己を承認できないまま生きるのでしょうか。
いえ、第二の理想を立てればいいのです。
『与えられたカードで勝負するしかない』
私が好きなスヌーピーの言葉です。
この世は理で出来ていますが、不条理です。
なぜなら、生まれながらに人生を大きく左右する容姿や環境が決まっていて、その決定に努力が介入する余地はないのですから。
つまり取るべき道は、妥協するか、死ぬかです。
一般的に自殺は良くないとされますが、私は大いにありだと思います。
不平等なゲームを降りるというのも立派な選択です。
命が惜しくないなら。
ニーチェがキリスト教批判をしたのも、永劫回帰を説いたのもこういった考えを背景にしていると思います。(聞きかじりの知識なので話半分で読んでください)
ニーチェがキリスト教を批判した理由は、その禁欲的にエネルギーを抑え込む教えを、弱者の強者に対する嫉妬だと捉えたからだと感じます。
また、永劫回帰は、なんど廻っても自分の人生は同じということ。
そしてそれを受け入れることを良しとしている。
つまり、不平等なゲームだからといって降りたとしても、どうせまた同じ札が廻ってくる。
ならば、今ある状況を認める必要があるということです。
そして、現実から目を背けて弱い自分を善しとすることを否定するわけです。
ということは、残るは努力して前向きに生きるしかない。
そういうことみたいですね。
何度廻っても人生が同じっていうのは、「時間が無限で物質が有限とするなら、いつか同じ状況が廻ってくる」という考えに基づいているそうです。
原典を読んでないので断定的なことは言えませんが、すごく根拠薄弱ですね。
考え方は人それぞれです。
自分の可能性をまだ信じたいなら頑張ってもいい。
もう諦めるなら第二の理想を探してもいい。
その気も起きないならドロップアウトすればいい。
決断は難しいですね。
足がかりが欲しいところです。
強いて言えば、ただひとつわかるのは、何事も試してみなきゃ分からないってことだけですね。
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