2014年8月14日木曜日

エヴァンゲリオンで目指された世界


私の好きなアニメの中に新世紀エヴァンゲリオンがある。

エヴァンゲリオンは主人公の碇シンジが、使徒と呼ばれる地球を荒らす生命体と戦う物語である。

エヴァンゲリオンの世界では、表向きは人造人間による使徒抹殺が目標とされるが、実はその裏で、世界中の人間を生命のスープに戻すという、恐ろしい事態が計画されている。

当初観たときは、「すげー話だな、よく思いついたな」と思った。

だってなんだか、突飛だ。
皆ひとつになろう、って呼びかけたところで、大半の人間は拒絶すると思う。
でもよくよく考えると、それは世界のあるべき形を突き詰めると辿り着くひとつの答えだ。

誰もが、世の中に対して求めるのは、相互理解と平等だろう。
生老病死や三大欲求を除けば、あらゆる苦しみの根源は、他者との関係性から起こる。
七つの大罪では、傲慢、物欲、嫉妬、憤怒、貪食、色欲、怠惰が名を連ねているが、このうち怠惰と物欲を除いた五つすべてが、他者との優劣から派生して沸き起こる感情だと言っていいだろう。

こうした苦しみから世界を救うには、どうしたらいいか。
相互理解と平等が成立すればいい。

これにはいくつかアプローチがあるだろうが、最終的に三つに絞られると思う。

1. 世界を消し去り、苦しみを消し去る
2. 皆が擬似感覚で自分の好きな夢を見る
3. 皆と一つになる

1は、ファイナルファンタジーX(FFX)のシーモア老師の思想である。
FFXの世界では、シンという魔物が存在し、定期的に世界を荒らし回る。
そこで召喚師と呼ばれる人々が、自らを犠牲に数年間の平和を取り戻す。
しかし、永遠の平和を成し遂げる術はわかっていない。
そこで、シーモア老師は悲しい世界をまるごと消し去ればいいと考えた。
迷惑な話である。

これは哲学の認識論に基づいた解決法で、苦しみを認識しなければ苦しくないよね、じゃあ死んじゃえーという極端なやり方だと思います。

2は、NARUTOのマダラの思想である。
マダラは幻術という、幻を見せる忍術を皆に永遠にかけることで、それぞれが望む形を反映した夢の世界に生きることを目指す。
主人公は反対するけれど、正直僕は賛成。
だって誰も傷つかないわけだし、素晴らしく優しい悪役だと思う。
まあ、その目的のために皆を利用するのですが。

これは水槽の脳の話に似ている。
映画のマトリックスの設定と同じと言ってもいい。
我々が生きているこの世界も、所詮は擬似感覚であるかもしれない、なら擬似感覚で好きな夢見りゃいいじゃないかという発想。
幻術にかかっている間は誰が現実を管理すんねんという問題が残るため、少々不安はある。

3は、エヴァンゲリオンのゼーレの思想である。
ひとつの生命体になっちゃえば、皆平等、争いもない平和な世界、素晴らしい!ってわけです。
僕は嫌です。自我がなくなっても生き続けるなんて変な感じがするでしょう。
でも、死んでもかまわないなら自我が変質するくらいどうってことないかもしれませんね。

これは…正直類例が思い浮かびません。
なにせ現実的にもっともありえない話なので、実例や似た考えは少ないんじゃないかと思います。


面白いのは、悪役は悪役なりに大義があって、悪気があるわけじゃないところですね。
そして主人公達は反対するのです。
主人公達はあくまで悪役を止めるだけなので、受身というか、割と保守的と言えます。

主人公の考えを一度疑って作品を見てみるのも面白いかもしれないですね。
ちなみに、アニメの悪役にフォーカスした本に「世界制服は可能か?」というのがあります。

これはどちらかというと、悪役としての方法論、How to 悪役って感じのテイストの本ですが、興味ある方は読んでみると面白いかもしれないですね。
扱われる作品はちょっと古いですが。


・おまけ
皆とひとつになる思想では、きっと自分の人格が60億分の1とかになっちゃうんでしょうね、寂しいね。
では、ハーフ&ハーフならどうでしょう。
あるいは、左脳と右脳をくっつけた状態なら?(左右で男女が分かれている敵役がいましたね)
とか、考えてみるのも面白いかもしれませんね。
興味がある方は、「テセウスの船」「砂山のパラドクス」で調べるといいかもしれません。

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