2013年9月3日火曜日

病名が人を救う


「なくて七癖、あって四十八癖」という言葉があるように、人間は各々、当人が気付いているにせよいないにせよ、何がしかの癖をもっている。

例えば、貧乏ゆすりだとか、イライラすると指で机をとんとん叩くとか、考えるときに下唇を噛むとか。
私の場合はこれが変わっていて、考え事をするときにぐるぐる回転する、というものだった。
何か考えることに熱中するとき、ぐるぐると回りながら考えると、思考に深く入り込むことができたのだ。
奇異な性質だと自覚はしていたので、周囲の目に触れる場所では我慢していた。

私には他にもいくつか変わった特徴があった。
あるとき本を読んでいて、どうやら私は右目でしか本を見ていないことに気付いた。
まっすぐ見ようとするとぼやけるので、おかしいと思いながらもそれを貫いた。

しかし、片方の眼だけを過度に使うことが眼にとって優しくはないことは想像に難くないだろう。
私の右目の視力は左目とぐんぐん差をつけて落ちていった。

視力が良くないことからも予想がつくかもしれないが、私は運動も得意ではなかった。
サッカーをしてみればボールをまともに蹴ることも出来ない。
野球をしてみればルールもわからないしボールも遠くまで投げられなかった。
挙句の果てには水泳や短距離走のように複雑さの少ない競技でさえもトロくさく、いつもクラスな意ではビリから数えたほうが早い始末であった。
唯一苦手ではなかった(得意でもなかった)のは長距離走だったが、走った後にいつも何故か右側の肺だけ苦しくなるので好きではなかった。

私はいつも姿勢が悪く、頬杖をついていた。
歩き方も何だかおかしいような気がして、一時期かっこいい歩き方を真似してみたこともある。

私が唯一秀でていたのは音に関する感性だけで、人一倍話を聞くのがうまく、耳がよかった。
そのためか音楽の好き嫌いもうるさかったし、人と話すのが好きだった。

だから、スポーツの出来ない私が、高校に入って勉強でも取り残され始めたとき、私が己れに感じた無力感は途方もなかった。

自分はなにもかも平均以下だと自覚し始め、今度は努力をしてこなかった自分を恨んだ。

そこで一念発起して努力できていたならなにか変わっていたかもしれないと今でも思う。
が、残念ながら私の辞書に努力の文字は無かった。

今まで何をしても大してうまくいかず、まともに成果がでたのは人に言われて適当にこなしていた勉強だけだったのだから、努力をすることに意義を感じなかったのも仕方のないことかもしれない。
そもそもやりたいことですら大してなかったのだ。

そしてついには適当にしていた勉強すらしなくなり、毎晩毎夜パソコンで遊ぶ始末だった。
学校は自称進学校の学校だったので部活動も禁止されていた。

こうして受験を迎えた私が入れる大学など殆どあるはずもなかった。
かろうじて手が届くかもしれない最寄りの国立大学をダメ元で受験して、信じられないことに受かってしまった。

大学に入った私は、今までのつらい歴史(それなりに楽しんではいたのだが)を振り払うかのように演劇を始め、そして運動じみたことまで始めた。

しかし、生まれ持っての性質というのは変わらないらしい。
同期がどんどん成長していく中で、自分だけ取り残されていく気持ちは切なくて仕方がなかった。
なにより熱心に教えてくれる先生に対して申し訳なさが募った。

そして二年後、私は両方ともやめた。
理由は簡単だった。伸びなかった。つらかった。

先生は残念そうに見送ってくれたが、私はもう合わせる顔がない。

私が活動をやめたのにはもうひとつ理由があった。
それは、自分がもう伸びないとわかってしまったからだった。

私はどうやら先天的奇形の類だという事実が判明したからだった。
鏡を見たとき、自分の首筋の右側だけに浮き出た筋が私の異常性を物語っていた。
そのとき私は悟った。

いままで私が悩んできた癖はすべて、これに起因している。

ぐるぐる回るのが落ち着くのは、重心がズレているためだし、右目ばかり使っていたのは、首の筋肉が歪んでいたために首を動かし辛かったため。スポーツができないのなんて当然のことだし、頬杖をつくのはもともとバランスが悪かったからで、いくら発声練習をしても伸びなかっただって、普通じゃないんだから当然だった。

この事実を知ったとき、私の心にはふたつの感情が訪れた。

ひとつは、私の努力はなんだったのだろう、ということ。
できるはずもないことで延々時間を浪費して、手元に何も残らなかった虚無感。
そしてもうひとつは、私はできなくて当然だったのだ、という安心感だった。

そう、私が何事もうまくできないのは、私のせいではなかった。
もちろん私のせいだが、私の中にある私を縛り付ける病のせいだったのだ。

こうして病にすべてを押し付けることと引換えに、私は安寧を得た。
誰かが偉そうにしたって、「しょせんお前は健常なのだから当然」と思い、自分が馬鹿にされても「私でなくて病が悪い」と思うようになった。

もちろんこれは全面的にいいことではない。
なんでも病のせいにして現実から目を背けたとしても、私が無力だということは何も変わらないし、周囲に迷惑をかけることもなんら変わらない。

だから、病を楯に自分を擁護するような真似をすることははしたないと思う。
けれど、誰が好き好んでこうなったわけでもないのに、とも思う。

そんな歯痒さが私の中には常に存在している。

でも、よかったこともある。
それは、すべての人がいい形にせよ悪い形にせよ、いろんな運命に従って生きているという想像をめぐらすことができるようになった。

たとえ誰かに腹を立てても、その人ではなく、その人の運命が悪いんだと考えれば、一歩引いて客観的視点に立つことができる。

それから、現実を逃避してファンタジックな世界に憧れる人の気持ちに理解を示せるようになった。
私はファンタジーを好む人たちは非リアリストの夢想家だと勝手に勘違いしていたが、よくよく考えてみれば厳しい現実をよく知っているからこそ、ファンタジーが楽しいのだ。

最近はなんでもかんでも病名をつけたがる、という意見がある。
授業中に落ち着いていられない子供をADHDと言ってみたり、コミュニケーションの解釈に問題を示す人を指してアスペルガー症候群と言ってみたりする。

病名をつけることで一括りにするのはよくないし、それを言い訳に何かを放棄するのはたしかによくないかもしれない。
しかし、自分を深く見つめ直すことで人生が豊かになるだとか、精神的に少し楽になるのなら、それでもいいように思うのだ。

私自身は、自分の病気のことをもっと早く知っていたら、こんなにも無理はしなかったのになあ、と考えてしまう。
冷たい言い方をするなら「自分の分をわきまえていればよかった」と思う。

だから病気がわかったとき、なんで私だけ…と不幸を呪う必要はない。
これ以上無理しなくて済んだ、と考えるべきなのだ。

それは欺瞞だと言う人もあるだろう。
前向きに生きることは常にある種の欺瞞を含んでいる。
そうしないと、やってられない。

ある意味、自分でファンタジーを演じていると思えばいい。

これは決定論的問題に通ずるところがある。
病名がつけられると、途端に自分は悪くないんだという気がしてくる。

それは、自分の無能の責任が、病名に肩代わりしてもらえる気がするからに他ならない。
だが、実際のところ、事実は何も変わらない。

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