2013年9月4日水曜日
運動の法則
私は運動が苦手だった。
今でもそれは変わらない。
それでも昔運動をしていたので、どうして私だけができないのか、どうしたら上手くできるのか考える機会は多かった。
例えば走るというような一見シンプルな活動においてさえ、たった50メートルの間に雲泥のタイム差がついたりする。
どうして上手くいかないのか、うんうん悩んで試したが、一向に早くはならない。
今にして思うと、私はそんなに努力家でもなかったから普段走らない人間が走る人間に勝てないのは当然のこと。
それは、身体が順応していないという意味で、つまりは筋力が足りないという意味で勝てないのは当然だ。
でもそれにしたって、私と彼らでは走るときの何かが違う。
そう感じていた。
ある時テレビを見ていたら、ある陸上選手の特集をやっていて、早く走るコツなるものを紹介していた。
私はぼんやりと見ていたのだが、その内容にハッとさせられることになる。
画面内にはその選手の走行時のフォームが映し出される。
次に一般的なフォーム。
そして比較がなされる。
解説によると、その選手独特の「アメンボ走法」は目線がずれない。
そのため視界がぶれることなく、安定した走行ができるという。
そのとき、私の中でちょっとした衝撃が走った。
その走り方に行き着く原因が他に思い当たったのだった。
たしかに目線が安定することは一つの要因かもしれないが、もっと大事なことが言及されていた。
その選手は自分の走りを、「ふとももを持ち上げる勢い」で走ると表現していたのだった。
よくよく考えてみればそうだ。
人間の身体は、筋肉を収縮するときに力が入るようになっている。
私はそれまで人間は地面を踏みしめていると思っていたが、とんでもない。
いくら踏みしめても、体重以上の力はかけられないのだ。
つまり、力を出そうと思ったら、いったん身体を持ち上げて重力の力を利用するしか手はないのだ。
まあ正確に言えば、姿勢を保つために収縮する筋肉の反対側に拮抗する筋肉があったりするのだけれど、それとて重力方向に対して収縮という形でしか働きかけることは出来ないには変わりない。
とまあ、運動のうまい人なら誰でも知っていそうなことを知らずにがむしゃらに試行錯誤していた私は当然運動がうまくなるわけもなく。
センスという言葉の残酷さを深く噛み締めたのであった。
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