2013年12月12日木曜日

安定性のない人間は成功しない


私たちは外界を見る時、それらを認知します。

目の前にあるりんごを見ます。
そしてその存在を認める。

存在を認め、食べようと思った時、手を伸ばします。
りんごの感触をたしかめ、かじると味がしますね。
ああ、りんご美味しいな、と思う。
このとき、私の中でりんごは存在している。

では、スイカ割りの話をしましょう。

スイカを砂浜に置きます。
棒をもって、スイカから離れます。
目隠しをされます。

さあ、スイカを探せますか。
位置は大体わかりそうですね。

つまり、あなたはスイカからどれくらい離れたか逆算して、スイカがある位置をおおまかに把握しています。

スイカがあるであろう地点までいってみて、試しに棒を振ります。
あれ、スイカが割れた感触がない。

スイカとの距離感が、掴めてなかったようですね。
棒を振っても感触がなかったから、スイカがなかったとわかりました。

きっと少し位置を間違えたのかもしれない。
少し右、少し左にも棒を振り下ろしてみますが、手応えがありません。
おかしいな、たしかにここらへんだったはずなのに…。

わからないよ、と言って目隠しをはずします。
すると、にやにやしながら友達がスイカをもっていました。

なーんだ、もってるんじゃあ、あたりっこないじゃんか。


りんごとスイカの例を比較して違うのは、りんごの場合は自分が思うようにすべての事が運んだという事で、スイカの場合は目隠しによって状況がまったくわからなかったうえに、友人のいじわるという、予想が難しい事態が起こったということです。

りんごの場合ではただりんごを見てとっただけですが、スイカの場合は自分がスイカの位置を予想していましたね。実はそれが大事なのですね。

存在論の記事も話したように、人間は外界を見て、その状態を頭の中に入れます。
なのでりんごの場合も、いったんりんごの場所を頭に入れていて、手を伸ばしています。

こういった想像力は、理解力に直結しています。

何故かというと、理解とは、外的世界の状態を自分なりに解釈することだからです。
そしてもし現実と食い違った時、答え合わせをして解釈通りにいかなかった理由を考えます。

安定性が重要になるのはその理由を考える時です。
さっき、スイカの例で、友人のいたずらのせいでスイカが割れなかったのは、「友人のいたずら」という要素が普段とかけ離れていたからです。
もし友人がよくいじわるをする人なら気付いたかもしれません。

このように、普段起こらないことが混じると、途端に判定が難しくなるのはわかると思います。
表現を変えると、生活が安定していれば、なにかが起こった時に原因が見抜きやすくなるのですね。

だから、いつもと同じように過ごすと、自分の体調や、周りの様子に対して敏感になれるわけです。

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