2013年12月4日水曜日
子供の遺伝子操作
米国で、遺伝情報を解析し、親が望む子供を作るデザイナーベビーに繋がる技術が開発されたそうだ。
既に特許はとられており、十数年後にはビジネスになるかもしれない。
こうした最新技術について回るのが、倫理問題である。
今回の場合は、遺伝子を操作するという行為が、自然の掟に反するのではないか、という点である。
これは論理的な問題ではない。
何故なら、それによって誰が不利益を被るわけではないからだ。
強いて言えば、操作されることなく生まれてくる赤ちゃんが被害者とも言えるかもしれないが、病気のリスクを避けられるというならば、反対する理由はないだろう。
つまり、人間は自然(あるいは神か)に支配されているべきものであって、交配や自然淘汰のシステムは自然の法則にそぐわないというわけである。
しかしこれは妙な話ではないか。
そもそも交配や自然淘汰のシステムなど、人間が勝手に解釈しただけで誰が生んだとも知れないものを、人間が乗り越えてはいけないというルールがどこにあるのか。
そんなことを言うなら、セックスにおける避妊だって、中絶だって、十二分に掟破りである。
それは宗教として論じられるべきことであって、倫理ではないと私は思う。
中絶はたしかに人を殺すわけであるから、罪の意識があるのも納得できる。
しかし、遺伝情報の操作は違う。
これは子供の産み分けと逆の問題である。
子供の産み分けが、望みにかなわない子を捨てるという発想であるのに対し、遺伝子操作は望みにかなわない子が生まれ、捨てられるのを事前に防いでいると言えるのではないか。
そういう意味で、私は有効だと思う。
子供の産み分けの是非については、私は否定はしない。
なぜなら生むのは親の勝手である。だからといって殺すのも勝手ということはないとしても、責任をもって育てられないなら産み分けと称して命を絶つのはやむを得ない。もちろん手は尽くすべきではあるが、赤ちゃんも親も苦労するであろう(たとえば病気を患っている)などの場合は、やはり当人たちの問題であって、責任をもたない他人が口をはさむべきことではないように思う。
だが、できるならそんな悲劇を避けたいと考えるのは当然のことではないか。
となれば、遺伝子操作による産み分けがノーリスクなら、非常に有効な方法だと思うのだが、どうだろうか。
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