2012年8月28日火曜日

いつかは親も死ぬ


ここ最近、母親ともっと話したいという思いを抱くようになった。

昔から母には自分の考えや学校での出来事について聞いてもらっていたし、逆に私が母の話や愚痴を聞くことも度々あった。

私が実家から電車とバスで二時間ほどかかる距離にある大学に入学して親元を離れるようになってから、私の母との対話への欲求は強まっていった。

やはり一人で暮らしていると、ふと、一抹の寂しさを覚えることがあった。
そういった寂しがりの病が酷くなると、夜中のコンビニにいそいそと出掛けて行っては、できるだけ時間をかけて雑誌の立ち読みや買い物をし、食べるかもわからない菓子を買って心を満たしていた。

たまに見る親の顔は、ひとときの安心を与えてくれた。

ところが大学三年の半ば頃から、母親は不調をうったえ始めた。
今までもそういったことはないではなかったが、今回は切迫した状況のようで、一時期は寝込んでいるような状態にまでなってしまった。

医者にかかった限りでは、更年期障害ではないかと言われたが、当人はその診断を信じておらず、膀胱がんではないかと疑って、病院を調べ始めている。

そういう姿を見ていると、いつか親はいなくなってしまうのだという厳しい不文律が、急に現実味を帯びたものに感じられてきた。

もっともっと、話していたい。元気でいて欲しい。
そう願うようになった。

子供の時分はしょっちゅう、夜中にそういった想いにとらわれては泣きじゃくり、親に慰められたりもしたことを記憶している。
こうして考えてみると、あの頃の私のほうが今よりよほど優しく、そして想像力がたくましかったのかもしれない。

親孝行したいときに親は無しともいうし、生きているうちに何か一つでも喜ばせることができればいいのに、と願う日々を過ごしている。