2013年9月12日木曜日

勉強が求めているもの


日本の大学進学率は2012年には50.8%だったそうだ。
前年の2011年は51.0%なので下がったことになるが、ここ10年でみると9.5%上昇している。

これからも上がり続けるかは予測不可能としても、今のところ「大学卒業」の学歴はそれ相応に価値あるものと判断されているようだ。


生徒側は、大学で何かを学びたいということはなく、自分の将来をより明るくするために通っている。

一方で企業側は、ひしめく新卒ブランドの生徒達の中から、いかにして「ホンモノ」を見つけ出すかに四苦八苦している。

企業が求めるのはコミュニケーション力であり、専門性や勉強内容は二の次である。
「大学は就職予備校ではない」と言われる一方で、生徒も企業も就職を強く意識している。

大学に限らず、現在の教育が育てているのはどんな力だろうか。

私が思うに、「読解力」である。
問題の意図を読み取り、それにあった選択肢を選びとる。
現代の勉強の中心はこれだ。

しかしこれだけでは表現力がつかないので、たまに作文を書かせたりしている。

コミュニケーション能力を育てるなら、理解力・表現力双方必要になる。
ふたつ揃ってはじめて、人との疎通が成立する。

だが、問題の回答を選択肢にすれば先生は楽だし公正に見えるので、表現力育成を犠牲にしている。
結果、コミュニケーション能力の不足が取り沙汰される。

当たり前なのだ。
大学はレポートや試験の結果を生徒に返却しない、問題は選択肢にして生徒の個性に向き合わない。
教育する側がコミュニケーションを拒否しているのに、生徒にだけそれを求めるのは甚だおかしい。

手を抜けばそれだけ返ってくるのだ。
もはや大学ブランドに意味はない。

現代の教育はひたすら覚え、従うことに終始している。

言語を交わすうえで一番の悩みの種となるのは、相手にどこまで説明をするかである。
意思疎通は文章によって行なわれるが、逆に言えば単語を知らなければ疎通は不可能である。

今の教育が求めるのは、疎通を円滑にするための知識であり、その手段や思考、目的は無視している。

もっと正確に言えば、目的がフォーカスされていない。
教わる側をうまく誘導できていない。

勉強をただ覚えるものと捉え、そこにある目的を度外視する。
それでいて、本当に勉強と言えるのか。

2013年9月9日月曜日

記憶について


記憶力について。

記憶力をあげたい、という要望はよく聞く。
私もできるなら方法を知りたい。

なので、一般的な方法論を挙げておく。

記憶には、分類がある。
いつどこで何をしたかを覚えるエピソード記憶とりんご→appleというような意味記憶。

しかし上記はあまり関係してこない。

大切なのは、記憶情報の扱い方。
私たちは何かを記憶するとき、外界からの情報を変換して自分なりの形(表象)に変える。
そのプロセスを操れるようになればよい。

例えば絵を覚えるとき、右上には☆が5つ、左下には○が3つ、と覚えているようではいけない。
イメージそのものを、頭に叩き込む。

音も同じ。
雰囲気をそのまま、頭にいれる。言語化しない。

もうひとつのコツは、頭の中で論理的に結びつける。
意味のないことは覚えにくいので、何かしら意味的関連性をもたせる。
語呂合わせなんかはまさにそれだ。

人間は合わせて7±2の意味情報しか覚えられないという。
つまり、意味情報にどれだけ要素を詰め込めるかが、勝負の鍵になる。

言葉と概念


私たちは普段、ものに名前をつける。

赤く甘酸っぱい果実に林檎という名前がついているように、幾多にある触れる物体のみならず、現象や概念にまで言葉を当てはめている。

つまり、言葉は万能で、世界のすべてを言葉で表現できるような気もする。
しかしその反面で、情景や感覚を伝えるときには言葉の無力さを存分に味わうことになる。

「百聞は一見に如かず」という諺があるように、言葉を尽くしての説明には限界がある。

言葉は結局なんなのか。
言葉は単なる属性である。

つまり、林檎は林檎という名前の物体ではない。
赤くて、丸っこい、甘酸っぱい果実の属性がたまたま日本という場所では林檎となる。
ところ変わればappleになったりする。

日本の英語教育では、日本語の単語を英語に、英単語を日本語に訳するテストを課すけれど、あれは間違いをうむ可能性がある。

林檎という単語に関して、appleを対応づけてしまう可能性がある。

これはつまり、林檎を指で指されたとき、「林檎って英語でなんて言うんだっけ?」と思い出し、「林檎はappleだ」というプロセスを辿ることをさす。

しかし我々は日本語を使うとき、直接「林檎」という呼称を思い出すことが出来る。
だから、上記のような英単語の覚え方は不自然だと言える。

日本人が英語を不得手とする理由のひとつが、そこにある気がする。

2013年9月4日水曜日

運動の法則


私は運動が苦手だった。
今でもそれは変わらない。

それでも昔運動をしていたので、どうして私だけができないのか、どうしたら上手くできるのか考える機会は多かった。

例えば走るというような一見シンプルな活動においてさえ、たった50メートルの間に雲泥のタイム差がついたりする。

どうして上手くいかないのか、うんうん悩んで試したが、一向に早くはならない。

今にして思うと、私はそんなに努力家でもなかったから普段走らない人間が走る人間に勝てないのは当然のこと。
それは、身体が順応していないという意味で、つまりは筋力が足りないという意味で勝てないのは当然だ。

でもそれにしたって、私と彼らでは走るときの何かが違う。
そう感じていた。

ある時テレビを見ていたら、ある陸上選手の特集をやっていて、早く走るコツなるものを紹介していた。
私はぼんやりと見ていたのだが、その内容にハッとさせられることになる。

画面内にはその選手の走行時のフォームが映し出される。
次に一般的なフォーム。

そして比較がなされる。

解説によると、その選手独特の「アメンボ走法」は目線がずれない。
そのため視界がぶれることなく、安定した走行ができるという。

そのとき、私の中でちょっとした衝撃が走った。
その走り方に行き着く原因が他に思い当たったのだった。

たしかに目線が安定することは一つの要因かもしれないが、もっと大事なことが言及されていた。
その選手は自分の走りを、「ふとももを持ち上げる勢い」で走ると表現していたのだった。

よくよく考えてみればそうだ。
人間の身体は、筋肉を収縮するときに力が入るようになっている。
私はそれまで人間は地面を踏みしめていると思っていたが、とんでもない。
いくら踏みしめても、体重以上の力はかけられないのだ。

つまり、力を出そうと思ったら、いったん身体を持ち上げて重力の力を利用するしか手はないのだ。

まあ正確に言えば、姿勢を保つために収縮する筋肉の反対側に拮抗する筋肉があったりするのだけれど、それとて重力方向に対して収縮という形でしか働きかけることは出来ないには変わりない。

とまあ、運動のうまい人なら誰でも知っていそうなことを知らずにがむしゃらに試行錯誤していた私は当然運動がうまくなるわけもなく。
センスという言葉の残酷さを深く噛み締めたのであった。

2013年9月3日火曜日

病名が人を救う


「なくて七癖、あって四十八癖」という言葉があるように、人間は各々、当人が気付いているにせよいないにせよ、何がしかの癖をもっている。

例えば、貧乏ゆすりだとか、イライラすると指で机をとんとん叩くとか、考えるときに下唇を噛むとか。
私の場合はこれが変わっていて、考え事をするときにぐるぐる回転する、というものだった。
何か考えることに熱中するとき、ぐるぐると回りながら考えると、思考に深く入り込むことができたのだ。
奇異な性質だと自覚はしていたので、周囲の目に触れる場所では我慢していた。

私には他にもいくつか変わった特徴があった。
あるとき本を読んでいて、どうやら私は右目でしか本を見ていないことに気付いた。
まっすぐ見ようとするとぼやけるので、おかしいと思いながらもそれを貫いた。

しかし、片方の眼だけを過度に使うことが眼にとって優しくはないことは想像に難くないだろう。
私の右目の視力は左目とぐんぐん差をつけて落ちていった。

視力が良くないことからも予想がつくかもしれないが、私は運動も得意ではなかった。
サッカーをしてみればボールをまともに蹴ることも出来ない。
野球をしてみればルールもわからないしボールも遠くまで投げられなかった。
挙句の果てには水泳や短距離走のように複雑さの少ない競技でさえもトロくさく、いつもクラスな意ではビリから数えたほうが早い始末であった。
唯一苦手ではなかった(得意でもなかった)のは長距離走だったが、走った後にいつも何故か右側の肺だけ苦しくなるので好きではなかった。

私はいつも姿勢が悪く、頬杖をついていた。
歩き方も何だかおかしいような気がして、一時期かっこいい歩き方を真似してみたこともある。

私が唯一秀でていたのは音に関する感性だけで、人一倍話を聞くのがうまく、耳がよかった。
そのためか音楽の好き嫌いもうるさかったし、人と話すのが好きだった。

だから、スポーツの出来ない私が、高校に入って勉強でも取り残され始めたとき、私が己れに感じた無力感は途方もなかった。

自分はなにもかも平均以下だと自覚し始め、今度は努力をしてこなかった自分を恨んだ。

そこで一念発起して努力できていたならなにか変わっていたかもしれないと今でも思う。
が、残念ながら私の辞書に努力の文字は無かった。

今まで何をしても大してうまくいかず、まともに成果がでたのは人に言われて適当にこなしていた勉強だけだったのだから、努力をすることに意義を感じなかったのも仕方のないことかもしれない。
そもそもやりたいことですら大してなかったのだ。

そしてついには適当にしていた勉強すらしなくなり、毎晩毎夜パソコンで遊ぶ始末だった。
学校は自称進学校の学校だったので部活動も禁止されていた。

こうして受験を迎えた私が入れる大学など殆どあるはずもなかった。
かろうじて手が届くかもしれない最寄りの国立大学をダメ元で受験して、信じられないことに受かってしまった。

大学に入った私は、今までのつらい歴史(それなりに楽しんではいたのだが)を振り払うかのように演劇を始め、そして運動じみたことまで始めた。

しかし、生まれ持っての性質というのは変わらないらしい。
同期がどんどん成長していく中で、自分だけ取り残されていく気持ちは切なくて仕方がなかった。
なにより熱心に教えてくれる先生に対して申し訳なさが募った。

そして二年後、私は両方ともやめた。
理由は簡単だった。伸びなかった。つらかった。

先生は残念そうに見送ってくれたが、私はもう合わせる顔がない。

私が活動をやめたのにはもうひとつ理由があった。
それは、自分がもう伸びないとわかってしまったからだった。

私はどうやら先天的奇形の類だという事実が判明したからだった。
鏡を見たとき、自分の首筋の右側だけに浮き出た筋が私の異常性を物語っていた。
そのとき私は悟った。

いままで私が悩んできた癖はすべて、これに起因している。

ぐるぐる回るのが落ち着くのは、重心がズレているためだし、右目ばかり使っていたのは、首の筋肉が歪んでいたために首を動かし辛かったため。スポーツができないのなんて当然のことだし、頬杖をつくのはもともとバランスが悪かったからで、いくら発声練習をしても伸びなかっただって、普通じゃないんだから当然だった。

この事実を知ったとき、私の心にはふたつの感情が訪れた。

ひとつは、私の努力はなんだったのだろう、ということ。
できるはずもないことで延々時間を浪費して、手元に何も残らなかった虚無感。
そしてもうひとつは、私はできなくて当然だったのだ、という安心感だった。

そう、私が何事もうまくできないのは、私のせいではなかった。
もちろん私のせいだが、私の中にある私を縛り付ける病のせいだったのだ。

こうして病にすべてを押し付けることと引換えに、私は安寧を得た。
誰かが偉そうにしたって、「しょせんお前は健常なのだから当然」と思い、自分が馬鹿にされても「私でなくて病が悪い」と思うようになった。

もちろんこれは全面的にいいことではない。
なんでも病のせいにして現実から目を背けたとしても、私が無力だということは何も変わらないし、周囲に迷惑をかけることもなんら変わらない。

だから、病を楯に自分を擁護するような真似をすることははしたないと思う。
けれど、誰が好き好んでこうなったわけでもないのに、とも思う。

そんな歯痒さが私の中には常に存在している。

でも、よかったこともある。
それは、すべての人がいい形にせよ悪い形にせよ、いろんな運命に従って生きているという想像をめぐらすことができるようになった。

たとえ誰かに腹を立てても、その人ではなく、その人の運命が悪いんだと考えれば、一歩引いて客観的視点に立つことができる。

それから、現実を逃避してファンタジックな世界に憧れる人の気持ちに理解を示せるようになった。
私はファンタジーを好む人たちは非リアリストの夢想家だと勝手に勘違いしていたが、よくよく考えてみれば厳しい現実をよく知っているからこそ、ファンタジーが楽しいのだ。

最近はなんでもかんでも病名をつけたがる、という意見がある。
授業中に落ち着いていられない子供をADHDと言ってみたり、コミュニケーションの解釈に問題を示す人を指してアスペルガー症候群と言ってみたりする。

病名をつけることで一括りにするのはよくないし、それを言い訳に何かを放棄するのはたしかによくないかもしれない。
しかし、自分を深く見つめ直すことで人生が豊かになるだとか、精神的に少し楽になるのなら、それでもいいように思うのだ。

私自身は、自分の病気のことをもっと早く知っていたら、こんなにも無理はしなかったのになあ、と考えてしまう。
冷たい言い方をするなら「自分の分をわきまえていればよかった」と思う。

だから病気がわかったとき、なんで私だけ…と不幸を呪う必要はない。
これ以上無理しなくて済んだ、と考えるべきなのだ。

それは欺瞞だと言う人もあるだろう。
前向きに生きることは常にある種の欺瞞を含んでいる。
そうしないと、やってられない。

ある意味、自分でファンタジーを演じていると思えばいい。

これは決定論的問題に通ずるところがある。
病名がつけられると、途端に自分は悪くないんだという気がしてくる。

それは、自分の無能の責任が、病名に肩代わりしてもらえる気がするからに他ならない。
だが、実際のところ、事実は何も変わらない。

2013年9月2日月曜日

差別と平等について


私は某巨大掲示板のまとめサイトをよく見る。
先日、たまたまダウン症の話題があがっていた。

内容を見てみると、どうやら掲示板では差別的な発言(彼らは遺伝子的に人間じゃないとか)が平気で飛び交っていた。

これに対して、コメント欄では嫌悪感をあらわにする人達の書き込みが並んでいた。

話の中心は、「差別的発言について」であったが、どうも差別的発言を諫めるほうも冷静じゃないように思えた。

ここ最近、どうも人々は平等とか差別とかって言葉を暴力的に振り回しているような気がする。

本来、人間は生まれながらにして誰一人同じということはない。
そこから生じる差異は、好意的に捉えれば個性だし、競争の場では優劣となる。

平等を綺麗な言葉で語れば、「個性を大切にしよう」ということになるが、裏を返せば「身の程を知れ」ということでもある。個々人が本来持つ性質とうまく付き合わなければならない。

だから私は、世に出て働きたいけれど結婚もしたい女性の主張はいまいちピンとこない(気持ちとしてはわかるのだが)し、性転換手術をする人達の勇気には恐れ入る。
もともと自分に与えられた社会的役割をはねのけるエネルギーは並大抵のことではない。

だが、そのエネルギーは見習うべきとしても、今の時代は、個人に与えられた役割が軽視されすぎていると思う。

子供を産めるのは女性の特権だ。
だからこそ邪魔くさくもあるのかもしれないが、そう生まれついたものは仕方あるまい。

前向きな解決方法があるならいいのだ。
それこそ男でも子供を産めるようになるとか。

でも今は無理だ。
なのに、平気で男女平等を推進してしまうのはまずいと思う。

これは差別に関しても同じで、差別をするな、という言葉の捉え方は難しい。

現に、違っているのだからそれに関して指摘されるのは仕方のないことだ。
例えば一般人が不細工だとか言われても、ひどいけれど「差別するな!」とは騒がないだろう。
もちろん心ない一言に心を痛めることには変わりないので、相手が誰だろうがそんなことを言ってはいけない。

しかしそうなると、差別とは一体なんだ、という話になってくる。
障碍者だから差別するな!なんて発言は、一体差別助長じゃなくてなんなのか、という話だ。
障碍を楯にとっていると言ってもいい。

私は今のところ、ここらへんの答えを明確にもってはいない。
漠然と、無意識に自然に接することが大切だと思っている。

ただ、心の端に必ず留めておきたいことがひとつある。
それは、「誰も好き好んでそうなるわけではない」ということだ。

虐げられるような人間は、好き好んで虐げられる道を選んだわけじゃない。
そういう星の下に生まれついてしまった。
だから、本人が迷惑をかけているとしても、それはその人そのものよりも、運命が悪いのだ。

もちろん、迷惑をかけられたほうとしてはたまらないし、かけたほうもそんな言い訳を使ってはいけない。
けれど、その事実は厳然と存在していると思う。

「罪を憎んで、人を憎まず」とはこういう意味なんだと思う。