2013年8月12日月曜日

無視をするという行為


人を無視をする行為。

これはえげつない。

昨今はいじめが横行しているから、無視やシカトが生易しいものに思える。
だが実際、無視をする、あるいはされるというのは、相当につらいだろう。

何故なら、関係性を築く上で、喧嘩をすれば乱暴なりに相手がわかるし(それがたとえ間違ったものだとしても)、話し合えば付き合うべきかわかる。
それを交流と言っていいかは別として、何かしらの関わりはある。

しかし、無視という行為は一切のやりとりを断絶してしまうから、それ以上関係が悪化することも、進展することもない。
つまり、関係がなかったことにされる。

ましてや、学校のように、逃げ場のない状況での無視行為は、どうしようもない。
子供は環境を選択することが難しい。

なので、無視は基本的に許されてよいことではない。


しかし私は、現代社会をみていて、人々はもう少し無視することを覚えてもいいんじゃないかと思う。

昨今はインターネット上で情報が溢れている。

特に顕著なのがtwitterで、これによっていままで触れることのなかった、世界中の人のちょっとした想いや考えがオープンにされることを考えると、この変化というのはあまりにも大きい。

実際それに起因する事件や話題は尽きない。

では、そこの世界に足を踏み入れなければ無縁でいられるか、と言えばそうではない。

twitterによって築かれる関係性があったり(希薄ではあると思うが)、現実の行動をtwitterに晒したことで手痛い目を見た人達もいる。

もはや現実と強くリンクしてしまっているので、利用していなければ関係ない、と知らん顔を決め込むのは無理があるだろう。

実際テレビでもその関連のニュースが取り上げられたりするし、一メディアとして成立していると言って問題ない。

そうやって沢山の情報にまみれる中で、自分のアイデンティティを保つため、あるいは輝きを放つために奇異な行動をとってしまうのは、きっと「注目を浴びたいから」だろう。

注目を浴びたいというのはつまり、普遍的な自分、見向きもされない自分から脱皮して、人々に無視されない、気に留められる存在になりたいという願いである。

そういうものを含んだメディアは負のエネルギーを帯びてくる。

そうした精神を起因とする問題を耳にしたとき、害悪なのは彼ら(奇異な行動をする人)であって、周りは関係ないと思いがちだが、そうではない。
彼らは周りに手を叩いてくれる人間がいると信じるから行為に走る。

つまり、彼らの周囲のコミュニティが彼らにそうさせる。
コミュニティの裾野が広いだけに、相手をしてくれる人間は沢山いる。
それが厄介だ。

彼らは実際メディアを騒がせて、その狙いは成功している(それが悪い形だとしても)。
一部の芸能人は、あえて叩かれるような発言をしてみせることで、名前を売っていると言ってもいい。

今の時代に必要なのは、無視をすることだ。
極度に害悪のあるものは排除されるが、それ以外は無視をされる。

相手にしないということは、ある意味で抑制なのだと思う。

もちろん無視だけではいけない。
ときにはたしなめて、あなたの認識は間違っているよ、と教えることも必要だ。

そうしてコミュニティ全体でバランスをとっていく。
そういう自浄効果が必要だ。

無視も立派な行為である。

実際それを裏付ける実験があって、植木理恵さんの「シロクマのことは考えるな!」に載っている。
簡単に言うと、アメとムチより、アメと無視が効くそうだ。

厳しいことを言うより、無視されたほうが堪える。

しかし反面、無視行為は使い方が重要だ。

無視を一番有効に使う方法は、「たまに」無視すること。

上記のように、一度無視をしたらしっぱなし、というのは、もはや関わらないということである。
しかしそれでは、相手が自分の行為を省みたとき、こちらは利益を逃すことにもなる。

これに関連するエピソードが、ゲーム理論にある。

昔、コンピュータ同士を戦わせる大会が開かれた。

そのルールは、相手と協調するか、協力しないかを選ぶというものだ。
協力すれば両者に高得点が加算される。
だが、裏切れば自分だけそこそこな得点が得られる。

両者にとって総合的に得な戦略を選ぶプログラムを競った。
相手あってのことなので、もちろん相手によって戦略の効果は違ってくる。

そんな中で優勝したプログラムのとった戦略は、「しっぺ返し」。

相手が協力してくれば協力、叛意を起こせばこちらも協力しない、というものだった。
戦略としては非常にシンプルだが、複数回優勝しているので優秀さは保証されている。

さきほどの無視の話に単純に当てはめてしまうと、無視をされたら無視をし返すのがいい、という解釈をされてしまうかもしれないが、言いたいのはそうではない。

無視しても相手が協力的な姿勢になったり、こちらの意見に耳を傾けてくれそうな時は、無視を取りやめて対話路線でいくことが必要だということだ。

無視はよくないとはいえ、何かを切り捨てずに何かを得るというのは不可能である。

賢い選択の仕方を覚えたいところだ。


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