2014年3月10日月曜日

自分を許すこと



ある本によれば、完璧主義者はうつ病になりやすいという。


意外と思われるかもしれない。

なぜなら完璧主義はやる気があるから完璧を求めるのに対して、うつ病は無気力の病であり、双方が対比的に映るからだ。


しかし、真逆のようなふたつの性質は、視点を変えれば同じ要素をもっている。


まず、うつ病とは、何もかもがうまくいかないために起こるエネルギー節約病である。
今までやってきたけれど、どうせダメだからこれからもきっとダメだからやらない、シンプルに言えばそういうことだ。

一方の完璧主義は、常に理想像と今の自分との差を埋めることを考えている。

完璧主義を追い求めるうちに、心の中には現実のとギャップという、歪みが蓄積していく。
それが肥大化して、心の大半を占めてしまうと、ある日突然に途端に動力源を失ってしまうことになりえる。

つまり、自己実現目標に対して、自らの能力が低すぎる状態の持続が、うつ病の誘因となる。


そこで、うつ状態を脱するために、カウンセリング的な観点ではおそらく、できない自分を許してあげよう、という論理をもちだすことが必要となる。

出来ない自分を許すとはつまり、諦めるということである。

自分の能力は所詮ここまでだと見切りをつけることを覚える。

ネガティブに思われるかもしれないが、精神衛生上、非常に大切な要素である。


誰しも人は、努力だけでどうなるものでもない。


だが完璧主義者は自分の能力や努力を信じている。
もちろん、それでもいい。

自分の力を信じられることは素晴らしいし、それが出来なければ、成長は望めないだろう。

しかし、いつまでも自分を追い詰める必要などない。
誰しも、限界というものはあるはずだ。
問題は、限界は限界を超えるまでわからないという点である。


成功者は、限界を追求することを礼賛するし、それは自分の胸に秘めておく以上は良いことだ。
だが一方で、他人と比較して気に病むのは不健全である。
努力を否定するつもりはないが、成功者が成功するのは、究極的にはあくまで恵まれていたからに過ぎない。
だから、彼らの言葉に耳を傾けて、限界を追求したとしても、運の部分で差がついてしまう、そんなものだ。


だから、限界を決めて、自分を許してやることは何も悪いことではない。

もう自分はここまでだし、それでよい、と諦観をもつことで心の荷物が降ろせるというものだ。
そもそも、他人と比べてどうするのか。
最初から環境が違うのだから、誰が偉くて誰が偉くないなどということは本来ありえない。


だが、この考え方は一歩間違えると危うい。


悪く解釈すれば、すべては決定的だから努力は無意味であるということになる。
ただ、自分のペースでやることが大切だ。


たしかに、すべては事前に決定されていて、運がないと成功しないのかもしれない。

それこそアカシックレコードのように、この世の状態はすべて、初期状態から法則にしたがって計算されているだけで、私たちはその上で踊っているだけなのかもしれない。

だが、そうした考え方はあくまで思想だし、仮定である。
なにより自分が信じていたとしても、そうではない人々もいる。

それは当然理解されないものだし、言い訳としか捉えてくれないに決まっている。
特に成功者は、自分の力で成功したと思っている人も多いので、自分ができるなら人もできるし、すべては努力の賜物だと勘違いしている節がある。


また、諦めてしまっては前に進めないのもまた事実だ。


別に前に進みたくない、と思うかもしれない。

けれど、前に進みたくない、と思ったところで、勝手に進んでしまうものだ。

それこそ、自ら死なずとも自然と死んでしまうのに似ている。
人生における選択を放棄することは放棄という選択である。

だから、前に進もうという強い意志をもてとは言わないまでも、なにかしらの覚悟は必要かもしれない。

ならば結局、諦めればいいのか、希望をもてばいいのか、どっちなんだという話である。


言いたいのは、両方もっておきなさい、ということである。


ときには自分を許してやる、ときには信じて頑張ってみる。

バランスが大切だ。
他人からみればいくらくだらなくても、自分はここまでできた。
そうやって一歩ずつ進んでいける精神が大切なのだ。

それでもダメで、あまりにつらいときはこう思えばいい。
別に私だってなりたくてそうなったわけじゃない、と。

頑張れそうな時は、ちょっとやってみようかな、と思えばいい。

でも過度な期待はしない。
ちょっとだけできそうなことから始めてみる。


結局人間の限界は決まっているだろう。