2015年5月17日日曜日

フロー状態


最近、フロー状態について知った。


フロー状態とは、作業に集中して、我を忘れる状態だという。
詳しい説明は、下記の動画で語られている。



私は、このフロー状態は、仏教の瞑想に似ているのではないかと思った。

というのは、仏教の瞑想が無我の状態を求める行為だからである。

ただし、瞑想は無我どころか何も考えないのを目的とするのに対して、フロー状態は、自分が行っている作業に集中しているがために我を忘れるという点で違っている。

つまり、瞑想は何も考えないが、フロー状態は作業のことだけを考える。

しかし、これはノイズを排除するという点では同じである。

フロー状態も瞑想も極度の集中状態であり、周囲の状況を認識しているようでしていない。

特に動画内で語られる内容については、半信半疑にもう方もおられるかもしれない。

なぜなら、我を忘れて、別の現実に入り込む感覚、などと、摩訶不思議で怪しい感覚が平然と語られているからだ。

しかしよく考えると我々は、いつも現実を見ているわけではない。

当ブログでも過去に語ったように、我々が見ている現実はまず、今現在のものではない。

物が見える仕組みは、光の反射によるから、当然光が目に届くまでに時間がかかる。
つまり我々が見ている今現在は厳密には過去である。

さらに、我々はこの世界をそんなに真剣に見ていない。
書き損じをした経験が誰しもあるだろうし、なかなか見直してもミスが見つからないことはよくある。
それは現実と我々の認識がずれているに過ぎない。

つまり我々は、案外適当に世界を認識している。
見たものは、一時的に記憶して、脳内で処理される。

しかし我々は、見たワンシーンを完全に覚えているということは通常ない。

それはつまり、認識が、曖昧であることに他ならない。

我々は動き回るとき、自分のいる場所の視覚情報から、記憶とつなぎ合わせて世界を作っている。

となれば、当然与えられる情報が違ってくれば別の世界に入り込むことはできるし、記憶に情報さえあれば、その世界で生きているつもりになることだってできる。

これは俗にいう想像力である。

動画内で語られている、同じジャンルに10年以上携わっていないとフロー状態に到達できないというのは、単に一般人が、対象の作業に対して、記憶を蓄積するのに10年近くかかるということでしかない。

私自身は、別に10年たたなくても、想像力さえ高めて、記憶の重要性さえ理解すれば、記憶力は自然と伸びると考えている。

記憶が蓄積されて、それらをもとに新しい世界を想像できる領域、それがフロー状態だ。
一種の幻覚に近いかもしれない。

幻覚と現実の認識が重なる状態のことだろう。

例えば、幽霊を見る人があるが、彼らはきっと幻覚と現実を混ぜこぜに見ているのだと私は考えている。

それと同じように、今までの記憶と現実を重ね合わせているのが、フロー状態に違いない。

つまり、フロー状態にとってもっとも重要なのは、課題とスキルが見合っていることなどではないと思う。
記憶が蓄積されており、目をつぶってもそれを想起できるということ、それが重要だ。

外界の世界について、自分の中でいかに再現でき、その認識が正しいかということである。