2013年3月25日月曜日

処女信仰


ネット上の某掲示板のまとめブログをみていると、定期的に処女信仰に関する話題が挙がる。
そしてコメント欄は大荒れする。

誰でも参加できる話題だけに関心も高いということだろうか。

処女信仰とは、誰にも身体を許してこなかった女性を好む考え方のことだ。
某掲示板ではそういった信仰を揶揄する意味で、信者に「処女厨」なんて蔑称がつけられている。

そして、処女厨vsその他という構図で、大論争が巻き起こる。
処女厨の主な言い分はこうだ。

①「人が汚したものなんて触りたくない」
②「性交渉は結婚してからすべき」
③「別れるような男に身体を許すなんてありえない」

それぞれ考察しよう。

①「人が汚したものなんて触りたくない」
この意見は分かる気がする。
他人がベタベタ触った人と密接に触れあうのは少し抵抗がある。
これは潔癖症みたいなものだから、好みとしては仕方のないことだと思う。
事実そういった経験が多いほど、疾病のリスクは高いと思われるので、ただの神経質と切り捨てることもできない。

心情の問題としては、好きな相手が自分だけのものであってほしいという独占欲の現れとも言えるだろう。
ただそれが、今現在だけでなく過去にまで及ぶという意味で強烈な束縛である。

女性側からすれば、男性が女性をモノとして見ているようで嫌かもしれない。
それこそアクセサリー感覚で扱っていると考える人もあるだろう。


②「性交渉は結婚してからすべき」
これに関しては、悩むべきところだ。
今時は婚前交渉が普通になっているし、嫁入り前の娘がどうの…ということもない。
これは避妊が確実性を増してきたからこそ、性交渉の重みがなくなってきたとも言えるだろう。
そのリスクを重くみるか軽くみるかの価値観の相違が問題となる。

大半の男性にとっては、他の男性の子供を養わされるのはもってのほかである。
浮気なんてありえないし、過去の男性遍歴も気になるのは当然だ。

ただ、婚前に互いをよく知らなければ長続きしないとも言えるだろう。
離婚原因の大きな要因として数えられる問題だけに、事前に見定めようとする考えは理解できる。


③「別れるような男に身体を許すなんてありえない」
これに関しては、完全に結果論だろう。
結婚したって別れることはあるし、誰しも間違いはある。
現状をみるに女性にはもう少し慎重さがあってもいいように思えるが、やはりどうなるかはわからないものだ。


そしてこれらの意見に対して、色々な反論が飛び交うのだが…。
大抵の場合、「中古(処女でない女性を指して)が必死だ」とか「童貞が何言ってるの」と言った架空の個人に対する誹謗中傷が繰り広げられ、両者は疲弊し、いつしか争いは自然消滅していく。

なぜこうも争いが激化するのか?
それは、この争いが単なる「処女信仰」を守るための戦いではないからだ。

この争いの根底には、人を見下す精神のぶつけ合いと、それに伴う自己の価値創出がある。

つまり、処女厨は処女の価値を認めているのではなく、処女ではない人の価値を否定することで、教義を守る自分を肯定し、そこに価値を見出している。
そして反対勢力も同時に、夢見がちな理想を否定して見せることによって、「現実を知る経験豊富で大人な自分」を演出する。
相互に批判し合うことで、自らの価値を高めようとしている。

そうした行為は、「自分への自信のなさ」あるいは「承認欲求」の裏返しである。

自分への自信を付けたい気持ちは理解できるが、人を貶して得られる自信なんてものはない。
ほんとに余裕があるなら、黙って好みの女性にアプローチすればいい。
何より、終わってしまったことに関してとやかく言ってもしかたがない。
正直な心情を吐露するのは仕方ないとしても、あえてキツい言い方で安易に他人を傷つける必要はない。

互いに無視をできないインターネット社会が生み出した禍根だと言える。


このテーマは関心を抱く人が多いようだ。
ネット上の争いとは別の切り口で追記をしておく。完全に私見だ。

私が思うに、恐らく処女に関する悩みは二種類あるに違いない。
それは、「処女は重くないか、かっこ悪いのではないか」というものと、「処女とは価値あるものなのか」ということ。

これらは字面上違った悩みのようにも思えるが、その根っこにあるものは同じである。
つまり処女性はプラスなのか、マイナスなのかということ。

私個人は、「年齢による」と思う。

例えば、若いうち、責任ももてない高校生が惚れた腫れたの流れに任せて、というのは聞いていて情けない。
人間の成長速度なんてそれぞれだし、決して身分や学年だけが個人性を決定するわけではないが、有事の際にどうすることも出来ない身分で責任を伴う行為に及ぶのは好ましくない。

逆にある程度の年を重ねて経験がないとなると、これは逆に何か妙だ、と勘ぐってしまうことはあるようだ。

だからといって焦る必要はないとは思う。
それらはあくまで一つの要素なのであって、すべてではない。

本当は、その人の今を見つめるのが一番だ。
人間関係は過去ではなく、現在のインタラクティブにある。

ただ、男の本音としては、他の男性と関係のあった女性を大切にする気持ちは、ほんの少しだけ薄れるのかもしれない。

同じ条件で、処女とそうでない人どちらがいいか、と問われたら、間違いなく私は処女を選ぶだろう。
そして大半の男性も同じだ。

しかし、人間なんて様々な要素で形作られていて、誰一人同じ人間などいない。
だから先ほどの問いは、前提からして破綻している。

処女性だけを切り取ることはできないし、そうではない人だけが得る価値もきっとあるはずだ。

すべては夢見がちな男共の夢想に過ぎない。
そんなものは蹴っ飛ばして進んでしまうのが健全だ。


[20131020追記]
何故、処女信仰が存在するか?

恐らく男性にとっては、本能的に他の男性よりも先であることが大事で、それは昔、子供を授かったときに誰の子供か判断する術がなかったからに違いない。

相手が処女であれば、生まれてくるのは自分の子供だという保証が得られることが、処女信仰の第一義だとされる。

これは一見まともな論理に聞こえるが、よくよく考えるとおかしい。
女性が子供を産むまでの時間は十月十日と言われるくらい精確なわけだから、それさえ考慮に入れれば自分の子供かどうかくらいわかる。

つまりリスクを避けるためには、相手が最後にいつ交渉したかさえ知っていればいいわけで、過去すべてにおける遍歴をチェックする必要はない。

それに、処女性や男性遍歴の申告は大抵の場合、女性の自己申告である。
つまり、求めたところで真実は闇の中だ。
だから、拘ったところで無意味である。

そこが、処女信仰が信仰を脱しきれない由縁であるかもしれない。


じゃあ処女信仰が一部の男性に支持される理由ってなんだろう、という話に移ろう。

女性を物扱いするようで申し訳ないが、つまるところ「お下がり」のような感覚なんだろう。
新しいものがいい、という無根拠な価値感を土台として、それを欲しがる。

もっと言うなら、自分は新しいもの(=いいもの)を与えてもらえるだけの人間だ、とどこかで信じている。

これはとても夢想的だ。

幼い頃に、どんな夢をもっていたか。
振り返ってみると、サッカー選手やプロ野球選手、女性なら花屋やケーキ屋などが上位を占めるだろう。
今はそんな夢、見れない。
大半の人間は、そういうものを捨てて、軌道修正して大人になってゆく。

それは、「分を知る」からである。
自分が与えられたものはどの程度か、外界と対話しながら探ってゆく。

だから、大人になってまで女性に処女性を求める男性は、自分に見合ってない望みをもっている夢想家のように思える。

処女厨とかいって否定されるのはそういう部分かもしれない。

処女がいいよね、というなら、それはかまわないことだと思うし、他人に否定されるいわれは無いかもしれない。
だが他人から見ると、現実を見ろと滑稽さを感じるのかもしれない。


よく言われるのが、処女というのは要素だから、要は中身なんか見てなくて、その事実だけあればいいんじゃないか、という話だが、処女も立派な中身の評価だと私は思う。

少なくともお金持ちだから凄い人、なんて価値感よりは人の評価としてよほど妥当なんじゃないか。
だから良いとか悪いというつもりはないが、判断基準として使われること自体には疑問は無い。

実際、恋愛遍歴やそういう部分での感覚というのは、生活面でも大きく関わってくると思う。

だから、処女を求めるやつは中身なんか見てない!ってのは間違いで、そういうことを言う人は少々的外れなことを言っているように思える。

ただ、処女は未来で変貌するかもしれないが、お金は貨幣価値が変わらない限り使えるという意味では、未来志向の判断基準としてお金のほうが有効かもしれない。

2 件のコメント:

  1. 汚くなんかないよ!ちゃんと洗えば!…心の底で納得できるでしょうか?

    他人の食器に放尿すると器物損壊罪が成立します。
    壊したと同じような行為だからです。そんな食器、洗ってもだれも使えないでしょう。
    人間は、異性は食器以下ですか?
    人間として異性として尊厳性を認めるからこそ、処女性というのは霊性ある人類としての尊い価値観だと思いますがね。

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    1. >>匿名さん
      コメントありがとうございます。

      食器への放尿が器物損壊罪になるのは初めて知りました。勉強になります。
      ただ、食器ですらそういった扱いなのだから人間はそうあるべきでない、という論理展開自体が、人と食器を同じ枠組みで考えており、場合によっては嫌悪感を示されるのかなと思います。
      処女性を尊ぶ考え自体は私も反対ではないですが、その反動で処女でない方々を攻撃する方向に走るとなると話は別ですし、現実としてそういった行為は行われていますから、行き過ぎた尊崇には警鐘が鳴らされるべきだと思うのです。

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