2013年1月26日土曜日

責任


東電が福島第一原発の汚染水を、濃度を下げる処理をしたうえで海に放出するという。
また日本の魚は汚れるのか。

原発関連のニュースがでると、ネット上の一部では、東電の社員は何故責任をとらないのか、依然として高給を貰っているのか、という意見がでる。
責任をとれ、と。

多分それだと、東電の若い人たちは可哀相だ。
別に自分たちが引き起こしたことじゃないのに、と当人達も思っているんじゃないか。

会社としての責任と、その内部にいる人間の責任というのは、一緒くたに考えてはいけない。
会社は息が長いが、人間はそうでもない。

いざというとき、責任という言葉ほど当てにならない物はないと思う。
引責辞任なんて、最たる例だ。
失敗してやめることって、過去に対する責任はとってない。
例えば、車で人を轢き殺したから車に乗るのをやめます、というのは、本人が困るだけであって、被害者に対しては何も償ってはいない。
この先の事故のリスクは減るかもしれないが、それは謝罪でも、責任でもない。

給料を貰って仕事をしているのに、業績がだせなかったら、次は仕事を頼まれない。
責任のシステムは、持続性のもとに成り立っている。

問題だったのは、国土が汚れかねないことを、国としてやらなかったことだと思う。
一会社に手が負える問題ではなかった。
どこに責任を預けるかは、預ける側の責任だ。

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